今年、最後の礼拝説教は、『使徒の働き』からです。来年にも続きます。宣教の働き、教会の働きは一年で終わるのでは無く、ずっと続いていくものです。前進し続けるとき、その前進が妨げられることがあります。しかし、その妨げを乗り越えてさらに前進する。それが聖霊の働きです。この年、コロナ禍のために教会も、いえ世界中が前進を妨げられているように思えますが、でも聖霊の働きは必ず前進し続ける。そのことをおぼえていきたいと思います。
今日も三つのポイントに分けて取り次がせていただきます。第一に「妨げるものたち」ということ、第二に「予想もしなかった働き」、そして第三に「聖霊と共に働く」という順序で進めてまいります。
1.妨げるものたち
前々回、10章から異邦人の救いということをお話ししました。コルネリオという異邦人の家族が救われた。もちろん、彼が第一号では無く、8章ではエチオピア人の宦官が救われた。でも、それはたった一人の例外であり、しかも使徒ではない、ピリポという信徒の働きだから、ということで無視されていたのかも知れません。しかし、コルネリオの救いは十二使徒のリーダーであるペテロがしたことです。すぐにニュースはエルサレム教会に伝わりました。異邦人が救われた。それは私たちから見れば素晴らしい事ですが、ユダヤ人至上主義が常識であった人たちからは、とんでもない、と非難されてしまったのです。1節、2節を見ますと、批判した人たちは、「使徒たちやユダヤにいる兄弟たち」と書かれていますから、キリストを信じた人たち、クリスチャンであるユダヤ人たちでした。それが異邦人の救いに文句を言った。しかも使徒たちも一緒なのです。2節で「割礼を受けた者たち」と言っているのは、ユダヤ人の印である割礼にプライドを持っていたからです。3節。
3 「あなたは割礼のない人々のところに行って、彼らと一緒に食事をした」と言った。
この非難の言葉を読むと、ちょっと変に感じます。異邦人が救われたことに文句をつけるのではなく、異邦人と一緒に食事をしたことを批判しています。救われたことを批判するのは、し辛い。食事というユダヤ人の習慣に関することなら言いやすい。批判というのは、大抵、些細なことで言いがかりをつけるものです。
非難されたペテロは、自分の体験を証しします。これは10章の出来事をペテロの視点からもう一度語っていますので、今日は読みません。彼が語ったのは、ペテロ自身も最初は異邦人への偏見を持っていた。それを神様から幻を通して正された。そして15節。
15 そこで私が話し始めていると、聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになったのです。
16 私はそのとき、主が、「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる」と言われたみことばを思い起こしました。
17 こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。
イエス様が語られたことであり、神様がなさったことですから、人間である自分たちがそれを妨げてはならない。見事な言葉に、批判者たちは沈黙した。そして、18節の最後には神様をほめたたえた、と書かれています。
これで一件落着でしょうか。後のほうを読むと、この批判がまた出てくる。つまり、彼らは本当に異邦人伝道に賛成したのではない。黙認したにすぎない。なぜか。18節の批判者たちの言葉です。
それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ
確かに神様は異邦人をも救ってくださる恵み深いお方です。でも、彼ら自身はどうか。批判者たちは、神様の御心を理解したにも関わらず、では自分も御心を行おう、異邦人に救いを伝えよう、とはならなかった。神様をほめたたえたなら、神様の御心に従うはずではないでしょうか。異邦人が悔い改めると言いながら、自分たちが神様の御心に逆らっていたことを悔い改めていないのです。
神様の素晴らしさを知り、神様の御心を学んだなら、自分の間違いを悔い改めて、御心に従う生き方に変わる。それをしないとき、私たちも神様の働きを妨げることになってしまいます。御言葉を聞いて、賛美をしてお終い、ではなくて、御言葉に従う献身こそが求められているのです。
2.予想もしなかった働き
二つ目のことに移ります。残念ながら、このときのエルサレム教会は頑なでした。でも、神様はそれでも御心を行われ、聖霊は宣教の働きをさらに前進させる。それは、誰も予想していなかったところから始まります。19節。
19 さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンテオケまでも進んでいったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。
20 ところが、その中にキプロス人[これは異邦人ではなく、キプロス出身のユダヤ人のことです]とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシャ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。
21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて、主に立ち返った。
地名が気になる方は、後で地図を見てください。最初はユダヤ人だけに福音が伝えられていった。でもキプロスやクレネ出身のユダヤ人は、もともと異邦人に慣れていたのでしょう。ギリシャ人というのはギリシャ語を話すユダヤ人というよりも、もう完全な異邦人です。エルサレムから遠く離れたアンテオケで異邦人伝道が進められるようになったのです。しかし、主の手がともにあって、大勢の人が信じたのです。
エルサレムの、しかもユダヤ人主義者たちから見るなら、クレネ人なんて、蔑まれていた。大したことが無いと思っていた。その彼らが宣教の最先端だったのです。伝道は必ずしも大伝道者がするのではなく、むしろ名も無いクリスチャン、自分には力が無いと思っていた、あるいは周りから見下されていた人たちに、神様は大切な働きを委ねられるのです。私がどこかに出て行って、イエス様を信じなさい、と語っても、おそらくヒゲの生えたオジサンが変なことを語っていると言われるだけで、宣教は進まない。でも、皆さんが、遣わされている場所で、皆さんとの信頼関係にある人に語るなら、そこに主がともにいて下さり、用いてくださるのです。誰かが、ではなく、たとえ自分では思ってもみなかったかもしれませんが、神様はあなたを用いたいと願っておられ、聖霊が一緒に働いてくださるのです。
3.聖霊と共に働く
最後に、神様がもちいてくださった人たちを何人か見てまいります。まず、22節にバルナバが出てきます。彼は、エルサレムでもみんなから信頼されていた。そこで遠いアンテオケ教会を視察するのに選ばれた。バルナバが選ばれて良かったです。彼は批判者ではなく、「慰めの子」と呼ばれる、暖かい人でした。異邦人がぞくぞくと救われているのを見て、重箱の隅をつつくように非難するのではなく、神の恵みを見て喜んだと書かれています。良い部分、特に神様の恵みに目を留めることができる人です。また、みなを励ましたと書かれています。ただ単に優しいだけでなく、「常に主にとどまっているようにと励ました」、イエス様に繋がることが大切です。彼はさらに多くの人を導きました。
ところがバルナバは、一つの問題に気がついた。ただ優しいだけとか、良いところしか見ない、ということとは違う。でも彼は批判するのではなく、解決を見いだします。25節。
25 バルナバはサウロを探しにタルソへ行き、
26 彼に会って、アンテオケに連れてきた。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。
なぜサウロか。彼は伝道者としては未熟で、挫折をして郷里に戻っていた。でもサウロには短所だけでなく大きな長所があった。それは旧約聖書の学者であったということです。おそらくバルナバは異邦人が救われるのを見て、それが素晴らしい恵みである。しかし、ユダヤ人と違って異邦人は旧約聖書の知識が全く無い。それが彼らの信仰の弱さ、福音理解の浅さになっていると感じた。その欠けを補う人材として、パウロは最も適していたのです。パウロは、今度は論争をするのではなく、すでに信じている人たちに教え、彼らの信仰は強められていった。その結果、26節の後半。
弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
キリスト者、それはクリスチャンという、呼び名で、実は、このときが最初だったのです。このあだ名は、彼らがいつもキリストのことを証ししたから。それは彼らの信仰、そしてキリスト理解がしっかりとしたからです。パウロとバルナバの働きの結果です。
聖霊の働きの一つは、御言葉を分からせてくださることです。サウロが学者として知識があったから、だけですと、上手くはいかない。そこに聖霊が働いてくださったからです。さらに27節からはアガボという人が聖霊によって大飢饉を預言しています。「御霊によって」と書かれているように、ここにも聖霊の働きがあり、その結果、各地に出来た教会からエルサレム教会に義援金が送られるようになる。異邦人を見下していたエルサレムの弟子たちに、神様は異邦人教会からも愛の援助を送らせている。こうして、聖霊は教会を少しずつ成長させ、前進させ、正しい姿へと導いておられる。それは今も同じです。
前進し続ける教会、そして、前進するとき妨げる力もあります。でも神様は、聖霊を遣わして、教会を導いていてくださる。ですから私たちも主の御心を行うものとなりましょう。
まとめ.
今年は、困難の年でした。でも、神様は祈ることを教えてくださり、祈る時に聖霊が私たちを教え、導いてくださることを示しておられます。新しい年を迎える前に、もういちど御心に従う姿勢を正していただき、これからも前進する教会、またキリスト者とならせていただきましょう。
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