今日は教会総会です。昨年の総会前後から新型コロナウイルスの感染者数が増え始め、学校が休校になり、教会の子供たちも家にとどまらなければならなくなった。それから間もなく一年です。最初はどのように対処するか、分からないことが多く手探りでした。一年かけて段々と対応できる体制が整ってきて、様々な方法で教会の働きも少しずつ前進しています。礼拝でも、前半は『詩篇』から祈りについて学び、困難の中で神に祈り、また互いに祈り合う一年でした。後半は『使徒の働き』から初代教会の宣教の歩み、そこにも多くの困難がありましたが、聖霊なる神様が確かに教会を導いておられることを教えられ励まされました。
今日は使徒の働き18章から教会の使命である宣教についてご一緒に学びたいと思います。いつものように三つのポイントで、第一に「失望と妨げの中で」ということを、第二に「御言葉の約束に立つ」、そして第三に「人ではなく神の計画」という順序でメッセージを取り次がせていただきます。
1.失望と妨げの中で
先程読んでいただきました9節で神様がパウロに言われた、「恐れないで」という言葉は、旧約聖書で何度も使われています。恐るな、私はあなたと共にいる。旧約の時代も新約の時代も、そして今も神様は御言葉を通して私たちに「恐れるな」と語ってくださる。なぜならば私たちは恐れるからです。
今日は全部を説明はしませんが、18章はパウロがコリントという町で伝道したときのことが書かれています。1節に「パウロはアテネを去って、コリントへ行った」とあります。この時の心情をパウロは後に「コリント人への第一の手紙」の中で、あの時の私は、弱く、恐れおののいていました、と語っています。その原因は直前の出来事、すなわちアテネでの宣教です。お世辞にも成功とはいえない。パウロには自信もあって力を込めて語ったのに、信じた人は僅かだった。だから気落ちしていたし、今後の働きがまた失敗するかと、恐れていたのです。
さらに経済的にも苦しかった。一人で生活するための蓄えもなく、パウロはアルバイトで生活費を稼ぎながら。これでは十分な伝道は出来きません。やがて後から来た仲間たちが合流して、おそらくピリピ教会からの援助が届いて、いよいよパウロが伝道に専念できるようになると、今度はユダヤ人たちからの暴言です。このままでは、他の町でもそうだったように、迫害のため町を出ていかなければならなくなるのも時間の問題です。もうコリントでの宣教もお終いなのだろうか。それがパウロの恐れでした。
誰でも、一所懸命に頑張っていても、なお行き詰まることがあります。問題がいくつも重なってやってくることもある。そんな時、もうお終いかな、と諦めそうになってもおかしくない。そのような恐れや不安を持つ私たちです。もう一年間、コロナ禍で厳しい状況が続いています。そんな時に、さらに難しい問題が襲ってくることもある。人によっては二重三重の困難が重なって、もう自分の力では無理だと考えてしまう。その時、神様は私たちにも「恐れるな」と語ってくださるのです。
2.御言葉の約束
二つ目のことをお話ししたいと思います。神様はパウロに、恐るなという感情レベルのことを言われただけでなく、語り続けよ、と具体的な命令をしています。この命令はパウロにとっては福音を語るという彼の使命に関することです。異邦人宣教という自分の使命を、少なくともコリントの町では諦めようとしていた。もちろん異邦人の使徒を辞めるのではない。また次の町で伝道を続けたら良いじゃないか、そんな言い訳を自分にして、町を出て行こうと思っていたのかもしれない。そんなパウロに神様は、10節。
わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。
パウロは自分が投獄されたり鞭打たれたりすることは覚悟していた。でもその次にキリストを信じて間もないコリント教会の人たちが害を受けたり、怖がってキリストから離れてしまうことを心配したでしょう。でも神様はパウロに危害を加える者は無いと保証してくださり、まだまだ救われる人が沢山いると約束して下さった。ですから恐れと不安があっても、パウロは腰を据えた伝道し続けたのです。
厳しい状況だけれどもう少し頑張れば良くなる、だから続けて見よう、ということですと、これは単なる精神論です。無理をして続けて、さらに悪化したら、元も子もありません。神様の約束を信じるからこそ、パウロはコリント伝道を続けたのです。これまでは一つの町に数週間、長くても数ヶ月の滞在でしたが、コリントでは少なくとも一年半、それまでの期間も加えると二年近く宣教した。そしてキリストを信じる者が多く起こされ、コリント教会が出来ていったのです。
私たちも困難があっても神様を信頼し、そして御言葉の約束を信じるのです。「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得る」。まだコロナ禍の苦難は続くかもしれません。でも神様が新しい力を与えてくださると信じて行くのです。教会も腰を据えて働きを続けていくのです。
3.人ではなく神の計画
三つ目のことをお話しして終わりたいと思います。この後、パウロのコリント宣教はどうなったか。確かに救われる人は増えていきます。でも反対者がいなくなるのではない。パウロは無理矢理に法廷に引きずり出されます。でも裁判官の公正な判断でパウロは無罪となります。ユダヤ人たちが腹いせで他の者を打ち叩く事件は起きますが、パウロの宣教を止めることはできませんでした。神様の約束の御言葉の通りです。
でもパウロの使命はコリントだけでなく世界宣教ですから、出発する時が来ます。一度スタート地点のアンテオケに帰るために船に乗り、途中、エペソに寄ります。コリントも大きな町でしたが、エペソも小アジアでは大きな町で、伝道の拠点となる場所です。パウロはエペソでも本格的な伝道を続けたい気持ちもあったでしょう。エペソでキリストを信じた人たちも、もっとパウロに教えて欲しい。20節から少し読みます。
20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、
21 「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。
神の御心なら。これが大切です。コリントで長く滞在して成功した。だからエペソでも、と同じことを期待したくなるのが人間です。でも神様の計画があり、神の時がある。ですからこの時はパウロは腰を据えなかった。長く続けるか、早く終えるか、ではなくて、自分の思いではなく神様の御心に従うことが重要です。エペソ伝道は、次の第3回伝道旅行で実現して、二年以上エペソに滞在することになります。でもそれは今直ぐでは無い。今回は腰を据えずに、種蒔きだけ。それも御心なのです。
少し成功すると自分の実績や成功体験に胡座を描きやすい。自分の考えでこれからも上手く行くと思い込みたい。それが人間です。だからいつも御言葉に聞く必要があります。最初に一度だけ御言葉を聞いて、その後は神様にも人にも耳を閉ざしてひたすら自分の思いで突っ走ったりしないよう、いつでもみ声を聞く姿勢を忘れないようにしましょう。
まとめ
腰を据えて伝道することも、開かれた門を通って新しい働きをすることも、神様はその時その時に最善の道をご存知です。いつも神様の御言葉に従う、この姿勢にとどまり続ける。腰を据えて神様に従いましょう。
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